こんにちは、鬱を旅するエンジニア、久川和人です。
僕の過去の出来事や日常生活で感じたこと、思ったことなどを”久川の鬱日記”として定期的に書いていきます。
この鬱日記を通じて、僕のことをちょっとだでも興味を持ってくれたり、あなたも「ブログって自由なことを書いてもいいんだよ。」って感じていただけたら嬉しいです。
(前回の久川の鬱日記 ⇒ 久川の鬱日記vol.4 ゆとりをもちながら、嫌いなこともやっていく)
この記事の目次
日記
8月10日 強制的な飲み会なら残業代を出すべき
今日は、夜に都内を歩いていました。時計を見ると、21時を過ぎたぐらい。
通りを歩いていると、飲み会の一次会が終わったのでしょう。20名ぐらいのサラリーマンの団体が飲み屋から出てきました。
年配の方から若い方までいたので、部署全体での飲み会だったのでしょう。みんな楽しそうにおしゃべりしています。でも、その中に静かにしている人が一人いて、とってもつまらなそうな感じでした。
きっと無理やり参加させられたのだと思います。それでも、みんなと同じ方向に歩いていくのです。昔の僕のようで、かわいそうだなと思いましたが、僕には何もできません。
しばらくすると、サラリーマンの団体はつぎの飲み屋に入っていきました。もちろん、その静かにしてる人も入っていきました。
そういえば、以前、こんなことがありました。
それは新年会。会社では部署全体での新年会がありました。しかも、新年会は全員参加。欠席しようものなら上司から理由をしつこく聞かれて、何を言っても「新年会に参加しろ!」の一点張り。欠席は許されない状況でした。
これもパワハラですよね。逆になぜ欠席が許されないのか理由を聞かせてほしいぐらいです。
上司から参加しろと強制するのであれば業務命令なので、勤務時間中に飲み会を行うか、夜に飲み会をするなら勤務扱いですよね。残業代を出すべきです。もちろん、そのようなことは実現しません。そのようなことを言ったら、「ふざけんな!」と怒られそうですね。
ですので、僕は新年会の当日は休むことがありました。でも、新年会に参加したくない人は他にもいるようで、僕のように何人かは当日休む人がいます。
全員が飲み会好きではないことは、わかると思います。それでも強制するというのは問題です。
仕事をしないで怒られるのであれば仕方がないことですが、飲み会を断ろうとして怒られるのはいかがなものでしょうか。
8月24日 何かしら思っているけど、表現できない
ビジネス誌を読んでいたら、目に留まった言葉がありました。それは、「リーダーシップ研修」です。
なぜ目に留まったかというと、昔、会社の「リーダーシップ研修」に参加したことがありました。その頃は、役職でいえば管理職手前。上司と部下がいる中間の役職で、どのようにその役目を果たしていくのかについての研修でした。
その研修は2日間行われ、6人前後のグループで、いくつかの課題に対しての討論をして、討論した結果をまとめて発表するということをしていました。
そして、研修の最後、自分のグループのメンバーの
”良い点”、
”悪い点”
を書くという課題が待っていました。
”美味しかったです。”
ぐらいの、小学生が聞いてもびっくりするぐらいの感想しか言えない私はとても困りました。
しかも、その時のメンバーは、女性5名、男性は僕だけというグループ。女性に対して、どんな人? どんあ性格? みたいに考えたり、分析したこともなく、書くことが全く浮かびません。
非常に困り、研修用のテキストに書いてあった文章などを参考に、何とか書きました。
このことからも、僕はあまり人や物事を見ていないのです。関心が無いというか、深く考えていないのです。
だから、普段も「質問や感想は?」と聞かれても、「何とも思っていない。」というのが僕の感情なのかもしれません。
それは、感情を押し殺して今まで生きてきたのが、僕の人生。でもなんとか変えていきたい。表現豊かな人になりたいと思っていました。
でも、こうしてブログを書いていると、気が付いたことがあります。
それは、心の中では何かしらのことを思っているけど、表現の仕方がわからず、表現できていないことがいっぱいあるのではと思うようになりました。
感情を押し殺したとしても、
”どのような感情を押し殺したのか、心の声を聞いてあげよう!!”
”できれば押し殺さずに表現してみよう!!”
みたいになれば、簡単に表現の豊かな人になったりして。。
表現が豊かになれば、
”自分の思ったことをブログできちんと発信していける”
と思っています。
過去は変えられない。
現在はすぐには変えられない。
でも、現在を少しずつ変えようとすることで、未来は変えられる。
未来を変えるために、心の声が聞けるように、今は少しずつ変えていけるように努力をしていくことが大事ですね。
9月7日 鬱病の状態でやらなければならないこと
僕は数年前、鬱病になりました。鬱病になったことで、無理をしないように自分の体が制限をかけるように働いてくれます。これは、僕が人間社会を生き抜くために身に付けたことなのかもしれません。
鬱病はつらいです。
でも鬱病になったことで、こうしてブログを書くようになったし、会社に勤めているだけでは知りえなかった、いろいろな価値観を持った、多くのすばらしい人たちに出会えました。インターネットビジネスという、サラリーマンという生き方ではない道があることを知ったし、趣味も見つけました。
それは、神社をめぐり。いろいろな場所に行き、自然に触れることで得られる心の安らぎを感じることができました。
僕にとって、鬱病になったことは悪いことばかりではないですね。
僕の鬱病が治らないのは、
”まだ、鬱病の状態でやらなければならないことが達成できていないから”。
最近はそのように思って、「朝起きるのがつらいな。」とか、「のどに違和感を感じるな。」と思いつつも、鬱病と仲良く過ごしています。
いつ達成できる日がやってくるのを楽しみですね。
9月21日 90点未満のことはやらない
最近は、時間があると文章を読むようにしています。とくに電車に乗っている間は、文章に触れる貴重な時間。
文章は何でもいいのです。それは、メールだったり、インターネットだったり、本だったり。文章に触れていると、少しずつですが知識が増えて、自分でもいろいろな文章が書けるようになってくるのではないかと思っています。
とくに最近では、”エッセンシャル思考”という本が非常に参考になりました。
”最小の時間で、成果を最大にする。99%を捨て、自分が本当に必要だと思う1%のことだけを行う。”
そして、
”選択と集中”
そのためには、やることに点数をつけて、90点以上のことしかやらないという発想。たしかに、65点とかのことをやっても、微妙な点数なので、嬉しさもあまりないかもです。
90点の基準はいいのですが、90点未満のことは断る、やらないというのは、かなりの勇気が必要で実行するのは難しいですね。
エッセンシャル思考を家の中で完全に実行するのも難しいのに、会社で実現させるということは、断ることをしなければならず、勇気もいるし、相当なストレスを感じますよね。
でも、断るということをしていくと、実際には仕事もはかどるので、効率が上がるそうです。
このあたりは、エッセンシャル思考についてもう少し詳しく記事にしていきたいと思います。
9月28日 残業しないのは悪いこと??
テレビを見ていたら、”働き方改革”についての番組がやっていました。「一億総活躍社会を実現するための改革」ともいわれ、年をとっても働けってことですよね。
ただ、長時間労働の改善ということもいっています。多くの人が長時間労働をしている。それにより、休職者や過労死、精神的なハラスメントによる自殺が発生しているのを防ぎたいといっています。
でも、社会全体が長時間労働に対する意識を変えないと改善は出来ないと思っています。それは今でも、「残業するのが美徳」みたいな考え方が残っていて、定時に帰るのはけしからんみたいな風潮があります。
僕は以前、”働き方改革”ということで、できるだけ残業しないで帰るということを実施していました。
そのようなことをしていたら、突然、人員削減です。
僕が定時で帰宅 → 仕事が暇(余裕がある) → そんなに人員が必要ない → 人員削減
となったようです。
僕には仕事がなかったわけではありません。翌日以降に回せる仕事があったら、その日にはやらずに帰るようにしていました。でも会社からしたら、暇にしか見えないようです。
これでは、”働き方改革”をしても自分が損をするだけなので、”自分の生き方改革”が必要ですね。最近の言葉を借りると、「自分ファースト」。自分のやりたいことだけをやる。自分の人生は自分で決める生き方をしていく必要があります。
そのための第一歩として、僕は、
「鬱病や人間関係の悩みなどで会社勤めに向かない人のために、会社にとらわれずに、好きなことを仕事にして生計を立てていけるようになる。」
ということを教えていきたいと思っています。
一人でも多くの人に、”自分の生き方改革を実現してほしい”。そのような願いを込めてブログを書いています。
おわりに
今回も僕の好きなように書かせていただきました。
今回はちょっと会社のグチが多かったですね。会社という組織の中にいると、自分の好きなようにできないことが多いので、会社という組織にとらわれない、”自分の生き方改革”が重要だと思っています。
これからも定期的に僕の思ったこと、感じたことを書いていきます。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。