こんにちは、久川和人です。
僕は昔、人生が嫌になって失踪しました。
「今まで旅に出たことがなかったので、行ったことのない場所を旅してお金が無くなったら死のう。」
そんな気持ちで旅に出ましたが、人生を終わりにする最後の最後で生きる道を選びました。
その時の記事は、こちらをご覧ください。
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失踪した僕を救ったのは、クレジットカードの一言だった!!
でも、生きる道を選んだものの、簡単には僕に人生の再出発はさせてもらえませんでした。
それは、就職という大きな壁。
懲戒解雇になった僕を雇ってくれる会社はありません。でも、そんな就職できない僕に、奇跡が起こりました。
それは、『女神がくれた一通の手紙』。
そのおかげで今の僕がいるといっても決して大げさな表現ではないと思っています。
今回は、前回(失踪した僕を救ったのは、クレジットカードの一言だった!!)の続きになります。再びシステムエンジニアとして会社に勤めるまでのことをお話していきます。
懲戒解雇というレッテル
失踪して2か月近く経ち、僕は会社に行きました。
会社に姿を現した僕を見て喜ぶ人もたくさんいました。
でも、会社は失踪した僕をそのまま受け入れてくれるわけがありません。
翌日、始末書を提出して、数日後。
待っていたのは懲戒解雇。無職になり収入が絶たれるということです。
会社で様々な書類を書いて、離職票をもらいました。そこには、「懲戒解雇」の文字。
懲戒解雇となった僕には仕事がありません。ハローワークに行っても、離職票には「懲戒解雇」の文字が書かれているので、会社を紹介してもらえません。
懲戒解雇ということは、「問題社員だった」というレッテルが貼られているのです。もちろん、失踪したので問題社員ですから仕方がないことですよね。
問題社員だった僕に紹介できる会社がありませんでした。
解雇される直前にボーナスが支給され、少しだけお金がありましたので、当面の生活は出来ました。
失踪したことへの後ろめたさもあり、知り合いに仕事がないか相談することもできません。
「みんなは、また失踪されるかもしれないと思うだろう。」
と勝手に思っていました。
それに、当時はインターネットもあまり普及しておらずスマートフォンもない時代。僕は携帯電話すら持っておらず、知り合いの電話番号やメールアドレスもほとんどわかりませんでした。
知り合いからもらった名刺も会社をクビになる際に、全部シュレッターにかけていて、持っていません。
僕はシステムエンジニアだったので、そのような企業に何社か応募しましたが、面接すらさせてもらえません。
そのとき、システムエンジニアにこだわらずにいろいろな会社に応募していれば、面接させてもらえたかもしれませんが、「自分のスキルを活かした職業」という思いが強すぎたのか、応募しませんでした。
そうして仕事が決まらないまま、月日が経ち、お金も少なくなってきました。そしてある日、「東京を離れよう。」と考えるようになりました。新しい地で人生の再出発をするためです。
その新しい地は、福岡にしました。なぜ福岡にしたのか明確な理由はありません。ただ、失踪したときに最後にいた場所だったからだと思います。
でも今度は、人生を終わりにする旅ではありません。新たな第二の人生を始めるための旅です。
そう思ったとき、すぐに全てを引き払い、福岡の地へ行きました。
住み込みでの仕事
福岡ではすぐに仕事が見つかりました。福岡の街でたまたま目にした看板です。
それは住み込みの仕事でした。仕事場のラーメン店の2階に住めるのです。
「とりあえず、ラーメン店で働きながら仕事を探そう。」
そのような気持ちで、そのラーメン店に向かいました。
そして、その日のうちに、ラーメン店の2階に住むことになり、働き始めることができたのです。
働き始めた頃は順調でした。もともとショッピングセンターでアルバイトをしていたこともあり、接客業は慣れています。
接客業に慣れていたおかげか、常連のお客様にも優しくしてもらい、常連のお客様で、僕が食べるようにビールや定食を注文してくださる方までいました。
もともと職が決まるまでの間だけラーメン店で働くつもりでしたが、仕事が楽しくなり、職探しをしないまま、1か月が過ぎようとしていました。
「ラーメン店が天職なのかもしれない。」
そのころは、そんなことまで思うようになりました。
長くは続かない
でも楽しい時間は長くは続かないものです。
ある日、お客様にビールを運ぶ際、手が滑って、お客様のスーツにビールをこぼしてしまったのです。
ブランド品の高級なスーツだったようですが、その場は、お客様に謝って大きな問題もなく無事に収まりました。
しかし、次の日、再びのそのお客様が現れて、店長に請求書を突きつけました。僕には請求書の金額は見えません。
お客様と店長が店の奥に行きました。何を話しているのか僕には聞こえません。
ちょうどお店にはお客様がおらず、僕はただお店の中で立っていました。
「僕がビールをこぼしたせいで、大変なことになった。」
ずっと不安です。それから15分ぐらい経ってから、お客様は帰られました。
その後、何事もなかったかのように店長は普通に店を切り盛りします。お客様も来られたので、請求書の件も聞けません。
そして、その日の閉店時間になりました。
お店のシャッターを閉めると、すぐに店長が僕に静かな物腰で、
「今すぐ荷物をまとめて、明日に出ていきなさい。」
それだけを言って、店長はお店の片づけを始めました。
店長は怒っている感じではなく、とても悲しそうな雰囲気でした。僕は、片づけをしている店長に向かって、
「本当に申し訳ございませんでした。ありがとうございました。」
とだけ言って、2階の自分の部屋に行きました。
自分の部屋には、最初に持ってきた着替えぐらいしか荷物はありません。スポーツバックに着替えをしまい、布団の中に入り、最後の夜を過ごしました。
就職探しの旅
翌朝、お店を出ました。店長はラーメン店とは別の所に家があります。
さすがに、ラーメン店のドアのカギを持っていくわけにはいかないので、店長の家に行き、インターフォンを押すと、奥様が出られました。
奥様も話は聞いているようでしたが、何も言われず、玄関でカギを受け取ってもらえました。店長は寝ているということで会えません。
そのまま家の前で、大きく会釈をして歩きだしました。もちろん、行く当てはありません。これからは安いビジネスホテルに泊まりながら、職探しです。
20年ぐらい前は、スマートフォンもなく、携帯電話も持っておらず、簡単にインターネットで職を探すなんてことはできません。本屋で就職情報誌を立ち読みしたり、町中にある募集の張り紙を見て探すぐらいしか方法はありませんでした。
でも、残念ながら新しい職が見つかりません。アルバイトならあるのですが、僕には住む場所がありません。
そのため、住み込みか、ある程度の給料をもらえる会社に勤める必要があると思っていました。
そして、良さそうな求人を見つけると、履歴書を買い、証明写真を撮って、その会社に持っていきます。
ことごとく不採用。履歴書の住所が関東のままで、福岡で働きたいといっている僕に対して、不審がられることが多く、履歴書をその場で返されることもありました。
そうしているうちに、だんだんお金が無くなっていきました。
ラーメン店の女神が舞い降りた?!
ついに、安いビジネスホテルに泊まるお金も無くなりました。スポーツバックの中には、面接用のスーツ1着とクリーニングに出しだ白いワイシャツとネクタイ、面接に行くための身だしなみとして、ひげを剃るためのカミソリと歯ブラシ。
そして、所持金は数百円だけ。履歴書と証明写真を買うぐらいしか持っていません。
食べるものを買うお金はありませんが、商店街やデパートに行くと試食があるので、生きていけるぐらいの食べものは手に入ります。
水はペットボトルを公園の水飲み場などで補充しながら持ち歩いていました。僕の持っているペットボトルはラベルも剥がれボロボロです。ペットボトルの口を閉めてもきちんと閉まらず、横に倒すと水が漏れてくる状態なので横に倒れないように注意しながら持っていました。
絶望的な状況ですが、それでも、失踪したときのように、死のうということは全く思いませんでした。その時の夢は、お金が入ったら日本で行っていない所に旅行に行くことです。その夢を実現しないまま死ぬわけにはいきません。その気持ちだけで生きていました。
そのとき僕がいたのは、夜の福岡の天神駅。天神は福岡県の繁華街の町。大勢の人が楽しそうに道を歩いています。そのような人たちにぶつからないように駅のすぐそばを歩いていると、神社があります。
その神社は、警固神社。西暦200年ぐらいの建立されたともいわれ、勝利の神、防衛の神、厄除け、合格、恋愛成就などの御神徳。そして、警固神社の並びに今益稲荷神社。笑った顔のお狐さまがお出迎えしてくださります。
こうして生きていられることを感謝するとともに、元気と笑顔をいただきに、たびたびお参りに行くようになりました。始めのうちはお賽銭を入れていましたが、だんだんとお賽銭を入れるほどの余裕がなく、ただ手を合わせるだけになっていました。
ビジネスホテルに泊まることができなくなってからは、神社の隣にある公園が僕の宿泊施設。石でできているベンチに座り休みます。神社がすぐ隣にあることと、人通りが多いので、安全に感じられます。
そんなある日、夜8時ごろだったかと思います。公園でボロボロになったペットボトルの水を少しずつ飲んでいると、隣から女性の声が聞こえてきました。
「ラーメン店の方ですか?」
僕はその声の方に顔を向けました。そこには、以前働いていたラーメン店の常連のお客様。
週1回はお店に一人で来る20代後半ぐらいの女性の方。お店では、食事の前後にいつも本を読んでいて、注文を取るときとお会計のときぐらいしか話をしたことがなく、名前も知りませんでしたが、とても落ち着きのある感じの良い方だったことを覚えてました。
僕はびっくりしてボロボロになったペットボトルを落としそうになりました。あまりにびっくりしていて声も出ません。
その女性が再び話しかけます。
「やっぱり。実は、昨日もお見かけしたのですが、話しかけづらくて・・・。最近お店にいらっしゃらないのでどうしたのかと心配していました。」
僕は、心配していましたという言葉を聞いて、急に涙があふれてきました。ただただ涙が出て、何もしゃべれません。涙が強く出すぎて頭痛がしてきました。
その女性が立っていた奥は神社の本殿が見えました。神社の神様・女神が話しかけてきたようにも思えました。
しばらく沈黙が続き、僕はやっと話せるようになりました。
「実はラーメン店はクビになって。お恥ずかしい話ですが、住む場所もなく、仕事を探しながら、こうして生活しているのです。」
しばらくして女神は一瞬笑んで、そのまま僕の手を引っ張って繁華街の中に連れていきました。ファーストフード店に入り、ハンバーガーのセットやナゲットを注文します。
そして、女神が僕にたずねました。
「飲み物は何がいいですか?」
僕はとっさに、
「オレンジジュース。」
と言うと、女神はまた少し微笑んだ顔になったように見えました。オレンジジュースと言った僕が子供みたいに見えたのでしょうか。
席に着くと、頼んだものをすべて僕の方に渡します。
「全部食べてくださいね。」
僕は、
「ありがとうございます。」
としか言えず、とにかくすべていただきました。試食以外では、数日ぶりの食事です。食事をするということはこんなにありがたいことだと実感できました。
そして、久しぶりに人との会話ができました。昔の仕事について聞かれたので、システムエンジニアだったと伝えました。
食べ終わると、女神は、
「手を洗ってきて。」
というのです。
僕は、言われたとおり、トイレに行きました。トイレに入ったら、最初にドアのカギを閉めればいいだけなのに、久しぶりのファーストフード店のトイレだったので、どうしたらいいのか戸惑ってしまいました。
僕が戻ってくると、女神はもう帰る時間とのこと。ファーストフード店を出て、つぎにコンビニエンスストアに行きシステムエンジニア関連の求人が載ってそうな就職情報誌と菓子パン、新しいペットボトルの水を買ってくれました。
そして、突如現れた女神とのお別れです。夢のような幸せなひとときが過ぎ、現実に戻されました。
その夜は、いつもの公園のベンチに戻り、神社の本殿に向かって手を合わせてから休みました。いつもと違うのは、心もお腹も空腹ではないということです。
そのときは、女神の名前も連絡先も聞いていないということに気が付きませんでした。
一枚の手紙
翌朝、コンビニエンスストアで買っていただいた菓子パンと水をいただきながら、就職情報誌を見るためにスポーツバックを開けました。そこには、ノートを一枚破ったような手紙と茶封筒が入っていました。
きっと、ファーストフード店のトイレに行っているときに、女神が入れたのでしょう。だから、手を洗うように勧めてきたのだと思いました。
手紙には、
「がんばってね。 ゆみ」
と書かれていました。
そして、茶封筒に2万円が入っていました。
「しまった!!」
やっと女神の名前も連絡先も聞いていないということに気が付きました。
「でも、また会える。」
そのときは、そう思っていました。
まずは、早朝に神社にお礼参りです。いつもより、とってもとっても長い時間、手を合わせていました。
久しぶりにお賽銭を入れて、神社の神様、そして、昨日会った女神に対しての感謝の気持ちをお伝えしました。
つぎに就職情報誌を開きました。さすが女神が選んでくださった就職情報誌。システムエンジニアを募集している会社がたくさん載っています。朝10時過ぎから、公衆電話を占有して、求人欄にある会社に電話をかけました。
でも、いきなり電話をして履歴書を持っていきたいと伝えても、「いいですよ。」と言ってくれる会社はありません。
しかし、そんなことは気にせず、求人欄に載っている会社につぎつぎに電話をかけ続けます。
そうしたら、そのうちの一社から、
「明日の10時に面接に来てください。」
と言われました。
結局、数十社に電話をかけましたが、その会社以外は面接させてもらえませんでした。普通は、履歴書や職務経歴書を送ってから、面接するかどうか判断することが多いので仕方がないことです。
面接をさせてもらえることになった唯一の会社は、コールセンター関連のシステム開発をしていました。それは僕がもともとシステムエンジニアのときにしていた仕事。採用募集の電話をしたときは、コールセンター関連のシステム開発をしていたことは話しませんでした。
それでも面接をさせてもらえることになり、もしかしたら女神が僕に与えてくれたチャンスなのではないかと思えました。
そして、今度は神社に感謝の報告と合格祈願です。女神に出会ったことと、それがきっかけで面接をさせてもらえることになった感謝の気持ちと、明日絶対に合格するという宣言をしました。
そのあと、身なりを整えるため、床屋へ行きました。
床屋に入ったときに、
「数百円しか持ってなかったら、床屋にも行けなかった。」
ということにも気が付き、髪を切っているときに、涙があふれてきてきました。
床屋の方は突然泣き出したのでビックリしましたが、
「髪の毛が目に入って・・・。」
とごまかしました。床屋から出てから、神社に行くのは床屋に行って身なりを整えてから行けばよかったと気が付きました。
その日は、朝食付きのビジネスホテルにも泊まることもできました。ビジネスホテルに行く途中で証明写真を撮り、履歴書を買いました。履歴書に証明写真を貼るためにハサミとノリをホテルから借り、履歴書を仕上げます。そして、久しぶりに、ゆっくりとお風呂につかり、ベットの上で横になる。こんなぜいたくなことをしていいのだろうかと思う気持ちになりましたが、
「きちんとお金を払っているのだから悪いことはしていない。」
と思い、幸せな夜を過ごすことができました。
そして、朝食は、久しぶりのご飯です。お米や野菜、魚など、とてもおいしくいただくことができました。
まさかの結果
時間どおり10時に会社の面接に行きました。
会社の場所は、床屋の帰りに本屋にある地図を立ち読みして調べました。当時はスマートフォンがないので簡単に調べることができません。
会社のビルの前に着きました。人生最後の面接に臨むような気持ちです。
受付に行き、面接会場となる部屋に案内されます。
しばらくして、面接官がやってきました。履歴書をその場で渡し、面接官にシステムエンジニアとしてやってきたことを聞かれます。
面接官がいくつか質問されたあと、面接官が30分ぐらいここで待っていてほしいと言ってきました。
もちろん僕は待つしかありません。
面接官が退席して、しばらく、一人の時間が訪れます。
急に不安が襲ってきました。
「お金もあまり持っていないし、ここで不採用と言われたらこの先どうしようか。」
さらに、余計なことに気が付きます。
僕はビジネスカバンを持っていないので、持ち物はスポーツバックなのです。
「スーツにネクタイはしているけど、面接にスポーツバックを持っているなんてありえない。」
ますます、不安が大きくなっていきます。
そして、30分ほどして面接官が戻ってきました。
ここで予想しないことが起こります。
不安で泣きそうな僕に、面接官から一言。
「本社の東京でシステムエンジニアが不足しているので、勤務地は東京でいいですか?」
「え?!」
僕は東京に行けるほどのお金を持っておらず、ためらいました。
僕が返答に困っていると、面接官がさらに一言。
「東京への旅費と、住む場所が決まるまでの1か月程度の宿泊費は会社が負担します。」
僕はすぐに、
「ありがとうございます。よろしくお願いいたします。」
と言いました。
すぐに、契約書を作成してもらい、僕は捺印をしました。
4日後の翌週月曜日から雇用契約が始まります。
東京へ行くのは、その1週間後とのこと。
採用決定です。
会社を出て、すぐに近くのショッピングセンターのトイレに入り、着替えました。スーツやワイシャツが1着分しかないのです。できるだけシワにならないようにスーツやワイシャツをきれいたたみました。
福岡では、二回も助けられました。
一回目は失踪して死のうとしたとき。二回目は女神が現れたとき。
お金がないので、その日からまた公園暮らし。でも、その日以降も公園に泊まりましたが、女神には会えませんでした。
新たな旅への出発
「お礼が言いたい。」
「お給料が入ったら、お金をお返ししたい。」
そう思っていましたが、女神には会えませんでした。
手紙にあった「ゆみ」という名前だけしかわからないままです。
そして、東京へ行くことになりました。
最初のうちは、会社が準備したビジネスホテルでの生活。そして、アパートの契約が済んでからは、アパートでの生活となりました。
システムエンジニアから離れていた期間は数か月間。でも仕事をするにはあまり支障はありません。
東京で仕事が見つからず福岡へ行ったのに、東京で仕事をしているという不思議な気持ちではありますが、再出発することができました。
ただ、僕の女神にはお礼が言えなかったことだけが気がかりです。
「なんで、こんな僕を助けていただいたのに名前や連絡先を聞かなかったのだろう。」
何度も悔やまれました。
そして、東京へ行って半年後、転機が訪れます。それは、福岡へ出張することが決まりました。女神に会えるチャンスです。福岡出張に合わせて、2日ほど休みをいただきました。
福岡での仕事が終わり、神社へお礼参りをしたあと、以前働いていたラーメン店に行きました。しかし、シャッターが閉じたまま。看板も取り外されていてました。そこで、近くにコンビニエンスストアでラーメン店について尋ねたところ、数か月前から店はやっていないとのこと。
仕方がないので、ラーメン店の近くにある駅で会えるかもしれないと思い、夕方から夜まで改札前で待ってみましたが現れません。
翌朝も改札前にいきました。でも現れませんでした。
その日の夜は、再び寝泊まりしていた公園に行き、道を歩く人を見ていました。でも、見つけることができません。
「ありがとうございました。」
その気持ちだけを残して、東京へ戻りました。
結局、20年ぐらい経った今もお礼も言えぬまま、お金も返すこともできないままです。
せめて、
「あなたのおかけでこうしてすぐに就職できたし、生きていくことができています。」
と伝えたいです。
願いが届くように、いつも神様にはお願いしています。
おわりに
僕の”鬱を旅するエンジニア”の旅は終わりません。女神にはきちんとお礼がしたいし、実現したいことが沢山あるからです。行ったことのない場所もたくさんあります。
それに、女神が僕を助けてくださったように、僕が多くの人を助けることができればと思っています。
僕にできることはごくわずかですが、それでもこうしてブログを書いていくことで、すこしでもあなたの助けになっていればうれしいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。