こんにちは、久川和人です。
いつも、「どうせ私なんて・・・」と悲観的になって行動せず、「自分には生きがいなんてない」と嘆くことはありませんか。
でも、そのような思考でしかない僕でも改善できたのです。それは「幸せを取りに行く」という気持ちだったのです。
今回は、幸福になる第一歩!「悲劇の主人公」ではなく、幸せを取りに行くについてお話していきます。
「悲劇の主人公」を演じていた?!
僕は昔、うつ病がひどかったとき、ちょっとでも自分の思いどおりにならないことがあったり、ちょっとでも悪いことがあると、「どうせ私なんて・・・」とすぐに悲観的になり何もしたくなくなり、行動できないのです。そうすると、「自分はダメなやつだ」、「自分には生きがいなんてない」と嘆くことがありました。
そのころの僕は、自分で勝手に作り上げた世界観の中で生きていていました。その世界観が楽しいこと、幸せなことであればいいのですが、うつ病で悲観的な感情しかない僕は不幸だということしか思わなかったのです。
そんな不幸な世界観の中では、幸せを感じられません。なので、いつでもだれに対しても、「僕はかわいそうな人間です。」、「僕は不幸な人間です。」というような振る舞いをしていました。そうすることで、他の人からの同情や関心を得たい、気を引きたいという、「悲劇の主人公」になっていたのです。
それはまるで、不幸を誇りに思っているような生き方。
不幸を誇りに思って生きていたら、
- 不幸なことばかりを続けてしまう。
- 幸せなことがあっても幸せだと感じない。
- もし幸せだと感じたことがあっても、幸せだと感じることが悪いことだと思って、遠ざける。
ということをして、いつまでたっても幸せにはなれない、「悲劇の主人公」を演じてしまうのです。
「悲劇の主人公」になっている理由
でも、あるとき気が付きました。
「悲劇の主人公」を演じているのは、他の人からの同情や関心を得たい、気を引きたい、注目してほしいと思っている。
ということです。
そのことに気が付いたのは、うつ病がひどくなり会社を休職しているときです。うつ病がひどく会社を休職した直後は、家から出ることができませんでした。でも、徐々に回復していき、昼間に30分程度の散歩ができるようになりました。
その日は、妻と一緒に散歩をしていました。散歩の途中にあったベンチに座っていたときです。幼稚園児ぐらいの子供が3人、駆け回って遊びながら僕の前を通りました。そのすぐ後に、今度は、先ほどの幼稚園児のお母さんが通ったのです。僕の近くで遊んでいたので、何度も子供たちが僕の前を通りました。
僕はその子供たちの光景を見て、楽しそうで幸せそうな子供たちを、とってもうらやましいと思うと同時に、自分に対してみじめな気持ち、そして、こんな僕といる妻に対して申し訳ないという気持ちになっていました。
そのときの僕はとっても暗い顔で、「僕は不幸なんだ」という雰囲気を前面に出しています。周りの人たちは楽しそうに明るいのに、僕の所だけ光があたらず真っ暗。真っ暗な所にいる僕には誰も気が付いてないように思えて孤独を感じます。
「なんで僕らはこんなにつらくて大変なのに、誰も見てくれないんだ、誰も助けてくれないんだ。」
と叫びたくなりました。
でも急に違う考えが頭に浮かんできたのです。それは、
「『僕はかわいそうな人間です。』と振る舞ったって、僕の家族でもないのに同情してもらえるわけがない。」
ということです。
当たり前のことですよね。僕はスターでもないのに注目を浴びるなんてことはないのです。そもそも、僕に関心があるわけもないので同情どころか、こんなに暗い僕に近づきたくないですよね。
そしてもう一つ頭に浮かんできたのは、
「そもそも同情してもらって、注目を浴びて、僕はどうしたかったの?」
ということです。
もしかすると、僕は、周りの人たちから同情してもらえるということで満足したかったのかもしれません。でも、同情してもらうことで満足するとも思えないし、仮に満足したからといってその先はどうするのでしょうか。
このことに対しては、答えは出ませんでした。
自分の世界観からの脱出
そのまま、ベンチに座りながら、子供たちを眺めていました。その子供たちはとっても幸せそうです。子供たちがうらやましい。そんな気持ちになってきました。
僕たちにあたるはずの太陽の光が子供たちにあたり、僕たちは真っ暗。代わりに子供たちには2倍以上の太陽の光があたっているようで、とってもまぶしく別世界に思えてきました。あきらかに別世界の方が幸せそうだったのです。
「そっちの別世界に行きたい。」
そう思ったとき、さらに違う考えが頭に浮かんできたのです。それは、
「だったら、僕も子供たちのように幸せになればいい。幸せな生き方をする。幸せを取りに行けばいい。」
という考え方。
でも、その考え方が浮かんだのはいいのですが、このように考え方を変えて、幸せを取りに行くことを実行していくのは難しいことです。
それは、僕の今までの世界観は、不幸を誇りに思っているような生き方。
- 僕はかわいそうな人間です。
- 僕は不幸な人間です。
と、自分のことを「悲劇に主人公」にしていたのです。
その悲劇の主人公を演じている僕が、今度は、
- 幸せになればいい。
- 幸せな生き方をする。
- 幸せを取りに行く。
という、喜劇の主人公に変わるということです。
幸せそうな子供たちを見ていると、「幸せな生き方をしていきたい。」と強く思うようになってくるのです。そして、「妻も幸せにしてあげたい。」と思いました。
でも、同時に、「幸せになるのはいけないこと」という罪悪感も抱くようになります。これは、「僕はかわいそうな人間です。」、「僕は不幸な人間です。」と思っているから、「幸せになってはいけない。」と思ってしまうのでしょうか。
そのときは結局、二つの異なる感情、
- 幸せな生き方をしていきたい。
- 幸せになってはいけない。
が同時に頭に浮かんでいて、「幸せな生き方をする。幸せを取りに行く。」という感情が前面には出せませんでした。
でも、今までの感情には無かった、「幸せな生き方をする。幸せを取りに行く。」という気持ちが現れたこと。
この気持ちが僕を大きく変えていく、きっかけになります。
不幸のスパイラル
散歩から帰り、家に着きました。
「幸せな生き方をする。幸せを取りに行く。」
このことが頭から離れません。でもいくら考えても、
- どうすれば幸せな生き方ができるのか。
- どうやって幸せを取りに行くことができるのか。
このことが考えてもわからないのです。わからないことがだんだん悩みになっていきます。そうすると、また逆戻りの発想が出てきます。
「自分にはやっぱり無理なんだ」
「どうせ自分は幸せになれないんだ」
とせっかく発見した「幸せな生き方」という選択肢ができたのに、マイナス思考によって不幸のスパイラルに迷い込んでいきます。結局、また元の「悲劇の主人公」に逆戻りです。
自分自身で、自分の可能性に限界を作ってしまうのでした。
幸せへの転換
それから数日たって、妻と散歩に出かけました。子供たちを見たときと同じ道を歩き、同じベンチに座りました。今日は人通りも少なく、子供たちはいません。
その日は天気がよく雲一つない空。今回は、僕たちにも太陽の光があたっていて明るいのです。
僕はベンチに座ったまま何気なく空を眺めました。空はとっても澄んでいて、どこまでも続いてます。空はとっても大きくて広いのです。
小さい雲が一つだけぽつんと浮かんでいて、ゆっくりと動いています。それはまるで、自由に好きなように空という空間を楽しんでいるようでした。
その雲を眺めていたときに、再び、「幸せな生き方をする。幸せを取りに行く。」ということを思い出しました。そして、
「そうだ、あの雲のように、僕も自由に生きていいんだ。風が雲を動かしてくれるように、僕も自然に任せて動いていけばいい。」
と自分でもよくわからない発想が生まれてきたのです。
でも、今まで自分で勝手に作り上げた世界観の中で生きていて、悲劇の主人公のようになっていたのです。それが「自由になる。」、「自由になっていい。」と思えるようになりました。
「幸せな生き方をする。幸せを取りに行く。」という気持ちに対して、”どうすれば”とか、”どうやって”とか、わざわざ理由を考える必要がないことに気が付いたのです。だって、”自由に”でいいので理由は不要だったのです。
それからは、少しずつですが考え方に変化が現れました。もちろん、そうは思っても、すぐに変えることはできません。でも、考え方を良い流れにしていくということが出来るようになっていきます。
例えば、こんな変化が現れました。
- 自分の欠点・弱点ばかりを見つめる。
⇒欠点や弱点に無関心になる。無いものばかりに注目しない。 - 自分のことばかり考える。
⇒自分の外の世界(人やモノなど)に関心を寄せる。ものごとを自分の外に向ける。
そうすると、”ダメな流れ”から”よい流れ”にだんだんと思考が変わっていきました。
- 自分はかわいそうな人間です。
- 自分は不幸な人間です。
と思っていたのが、
- 自分は幸せな生き方をする。
- 自分は幸せを取りに行く。
と思うように変わったのです。
それは、「悲劇の主人公」から「喜劇の主人公」になるということ。
今までは、失敗したり悪いことがあると、「自分はダメな人間だ」と思っていたのが、「つぎにどう活かすか」に発想が変わっていくのです。
そのことで、僕はうつ病も改善され、前向きに生きられるようになりました。
そして、このようなブログや趣味ブログを書いたりして、好きなことを仕事するということもでき、幸せを取りに行くことを行っています。
おわりに
今回は、「悲劇の主人公」ではなく、幸せを取りに行くについて、僕の実体験をもとにお話いたしました。
「どうせ私なんて・・・」と悲観的になって行動せず、「自分には生きがいなんてない」と思って、「悲劇の主人公」になってしまったら、
「自由になる。」、「自由になっていい。」ということを認識し、「幸せな生き方をする。幸せを取りに行く。」
という「喜劇の主人公」になれるように無理をせず、少しずつでも考え方を変えてみてると心に変化が起きます。
マイナス思考でくよくよと考えるのはやめて、前向きな行動を起こす。つまり、幸せを待つのではなく、幸せを取りに行くという意識を持ってみてくださいね。