久川和人です。
あなたは華やかで賑やかな生活に憧れることはありませんか。
でも、そのような生活が幸福かといわれると、実はそうでもないのです。刺激を求め続ける人生は、エスカレートしていくとキリがない。そうなると、だんだんと満足が得られなくなり、常にワクワクを求めてさまようことになってしまうのです。
だから、刺激を求め続けるよりも、心地よい退屈を味わうぐらいがちょうどいいのだと、僕は思っています。
今回は、ネガティブ思考の元凶は「疲労」!退屈を味わうことこそが本当の幸せについてお話していきます。
刺激は疲れを呼ぶ
冒頭でお伝えした華やかで賑やかな生活。
僕は、華やかで退屈しない暮らしに少し憧れていました。「毎日心躍る生活ができたら楽しいだろう。」と思っていたのです。それに、僕は大人しい性格なので、「少しは注目を浴びてみたい。」といった気持ちもあったのかもしれません。
ただ、その反面、「そのような生活をしていたら疲れてしまわないか。」といったことも思っていました。それはこんな発想から、そう思うようになりました。
平日昼間は仕事をして、夜は飲み会やジムに通ったり、休日はデートやイベントに行ったりと、予定がびっしり詰まったスケジュール。そんな中、急に予定がない日があったらどうやって過ごしたらいいのかわからなくなります。
多すぎる刺激があると、刺激のない生活が退屈になってしまう。そして、刺激に慣れてくると、どんな刺激にも満足できなくなる。結果、何事にも無関心になり、不幸になります。
それに、普段は仕事や遊びで忙しく、空いた時間はゲームやSNSで時間を費やす。こんな時間の使い方では常に刺激を受け、脳や体が休まる時間もなく、精神的にも肉体的にも疲れます。
このように、刺激は精神的にも肉体的にも疲れます。そして刺激を受けすぎて疲れてしまうと、前向きな思考が閉ざされてしまうと考えたのです。
ネガティブ思考の元凶は「疲労」
ただ、疲れとは精神的なものと肉体的なものがあります。純粋に肉体的な疲れであれば、睡眠や食欲をもたらすため、充実した生活を送るうえで助けになってくれます。
しかし、疲れの原因の多くは悩みや心配事に起因していることが多いのです。職場での人間関係、満員電車のイライラ、仕事のプレッシャー、将来への不安、家族や友人とのいざこざ、経済的不安など、複数の悩みや問題を抱え、ストレスになっています。
こうした悩みや問題は、肉体的な疲れも伴うため見落としがちですが、精神的な疲れの方が大きいのです。精神的な疲れは不安が付きまとい、心を蝕んでいくのです。そうなると、食事や日々の出来事に喜びを感じることができなくなります。
精神的な疲労は、それ自体、ネガティブ思考になってしまい幸せを奪うのです。
僕は職場の人間関係の悩みや担当しているプロジェクトで複数の問題が発生したり、納期のプレッシャーなどで精神的に疲れていました。精神的に疲れてくると、不安で眠れなくなり肉体的にも疲れてきます。それに、不安なことしか考えられず、仕事でもミスが多くなり、さらに、精神的に疲れていくという悪循環に陥りました。
そんな状態だと、何に対しても自分が悪いという、ネガティブな発想しか思い浮かばず、うつ病を発症し、休職という形で仕事から逃げてしまったのです。
心地よい退屈を味わうことこそが、本当の幸せには必要
休職した僕が仕事に戻ることができたのは、いくつかの理由があります。これから、その理由の一つをお話いたします。
それは、「心地よい退屈を味わうこと」です。
インターネットが普及し、スマートフォンが登場したことで、急激に世の中は便利になり、娯楽があふれるようになりました。常に探せば何かをするということができるのです。退屈しない暮らしが理想ではなく、現実にできるのです。
そのような時代に、刺激のない生活は退屈と捉えがちになります。退屈ですることがないということは楽しくない、すなわち不幸だと思うようになります。
僕は休職中、仕事のことや将来のことについて不安なことばかり考えていました。布団の中で横になってて休んでいても不安でちっとも休まらないのです。かといって、何かをしようとしても行動もできませんでした。
でも、心療内科で処方された薬を飲み、布団の中で休んでいると、数週間後には、少しは不安が和らいできます。不安が和らいでくると、起き上がれるようになり、少しだけ行動してみようと思うのです。ただ、何をしたらいいのかがわからず、退屈になりました。退屈になると、また不安なことが頭に浮かんでくるのです。
そこで考えたのが、「散歩に行く。」ということ。散歩をするためには、何かを買ったり、準備したりする必要もなく、服を着て体さえ動かせばいいので簡単なことです。
散歩って何となく退屈な時間を過ごせるのです。でも、太陽の光や風、川の流れ、木や花などの、自然に触れる、自然を感じることができます。散歩に行くといっても町中なので、山や海といった大自然の中とは違います。それでも、家の中と違って、自然を感じることで満足感が得られました。
将来や仕事、病気の不安はありますが、休職中ですることがないから散歩をする。人間はもともと大地の中で生活をしていました。そのためなのかもしれませんが、散歩を通じて大地に触れる。これが、僕にとっては心地よい退屈を味わうことになり、幸せを感じることができたのです。
- 心地よい退屈を味わうことこそが、本当の幸せには必要
- 心地よい退屈を味わうためには、自然に触れる、自然を感じることがいい
ということを感じました。
退屈ということは、くつろいだり、ゆったりした気分になれるということ。精神的にも緊張をほぐして休むことにもなります。リラックスできるのです。こうして退屈を味わっていると、幸せを感じてくるのです。少しでも幸せを感じるようになってくると、生きようという意識を持つことができます。こうしたことがきっかけとなり、うつ病が改善されて仕事にも戻ることができました。
興味を持つ対象が多いほど、幸福になれる?
僕はもともとあまり興味を持つものがなく、退屈を味わうことができました。でも、多くのことに興味がある人は、退屈とも無縁ですよね。
そんな退屈に無縁な人でも幸せを感じることができます。
花に興味がある人は、道端に咲く花さえ名前を調べようとして、日々を楽しむ。日曜大工に興味がある人は、家の中を便利にしようと工夫して、生活を彩るといったように、退屈を味わうことがなくても、幸せを感じることができます。
ただ、一つのことに興味を持ちすぎると、不幸の原因になってしまうので注意が必要です。
食事に興味を持ちすぎて、いろいろな料理を食べすぎて健康を害してしまう。アイドルに夢中になり、グッズやCDを買いすぎて破産してしまう。ゴルフが趣味で、毎週末ゴルフのコースに通って、家族との時間を犠牲にしてしまうといったように、一つのことに集中しすぎるのも問題です。
では、興味を持つ対象が多ければどうなるのか。興味を持つ対象が多ければ、関心ごとが分散でき、バランスを保てるようになります。そうすることで、退屈を味わうとは違った形で幸せを感じることができます。
一つのことに興味を持つことも、複数のことに興味を持つことも、いずれにしても何事もほどほどが一番なのです。
まとめ
今回は、ネガティブ思考の元凶は「疲労」!退屈を味わうことこそが本当の幸せについてお話しました。
日々の生活の中で刺激が多いとそれ自体が疲れになり、つぎのようなことが起こります。
- 刺激は精神的にも肉体的にも疲れます。そして刺激を受けすぎて疲れてしまうと、前向きな思考が閉ざされてしまう。
- 純粋に肉体的な疲れであれば、睡眠や食欲をもたらすため、充実した生活を送るうえで助けになってくれます。
- 精神的な疲労は、それ自体、ネガティブ思考になってしまい幸せを奪ってしまう。
そのようなときの対処方法として、
- 心地よい退屈を味わうことこそが、本当の幸せには必要
- 心地よい退屈を味わうためには、自然に触れる、自然を感じることがいい
なのです。
また、興味の対象が一つでも、多くても、
- 何事もほどほどにする。
といったことを心がけることが大事です。
華やかで賑やかな生活に憧れても、それが幸福とは限りません。常に刺激を感じて、それが疲れとなることもあります。それよりも、ゆったりと自然のリズムに合わせて、心地よい退屈を味わえるようになることが、本当の幸せなのではないでしょうか。